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人間の

 さて、私たちにとってとりわけ大切な日常生活のもう一つの面、つまり人間の愛、男女間の清い愛、婚約、結婚について少し考えてみましょう。人間の清い愛は、先に述べた偽りの精神主義がほのめかすように、本当の霊的(精神的)活動の傍らで、ただ単に許され容認されるだけのものではありません。私が話したり書いたりして、そうではないと説き続けて四十年が経ちました。初めは理解できなかった方々も、今では次第に分かってくださっています。

 結婚生活と家庭生活に向かう愛もまた、聖なる道、召し出し、素晴らしい道、神へのまったき献身の道になるのです。すでに思い起こしていただいたように、すべてを完璧に成し遂げ、日々の小さな事柄に愛を込め、些細な事柄の中に隠れている〈神的なもの〉を見つけ出してください。これらすべては、活力ある人間の愛のあるところで実現できるはずなのです。

 ナバラ大学の教授と学生、職員の方々ならご存じのように、私は皆さんの愛を麗しい愛の御母・聖マリアに託しました。皆さんが捧げる清く素晴らしい愛と祈りを受け入れて祝福してくださるよう、キャンパスに聖母小聖堂を信心込めて建立しました。「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもは自分自身のものではないのです」。皆さんは何度も、麗しい愛の聖母像の前で、使徒聖パウロのこの質問に喜びに溢れて答えることでしょう。神の御母、知っております、あなたの力強い御助けを得て、聖霊の神殿にふさわしく生きたいと願っています、と。

 この感動を誘う事実を黙想する度に、観想的な祈りが湧き上がることでしょう。聖霊は物質に過ぎない私の体の中にご自身の住まいを定められた。私はもう私のものではない。私の体も霊魂も、私の全存在が神のものである。そして「自分の体で神の栄光を現しなさい」という、聖パウロの言葉を実行することによって、この祈りは具体的な行いを豊かに生み出すことでしょう。

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