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社会人としてのキリスト信者

 長年のあいだ繰り返してきたので改めて申し上げるまでもないとは思います。市民としての自由と共生と相互理解についての教えは、オプス・デイが広める考え方の中心です。オプス・デイにおいてキリストに仕えたいと望む男女は、他の市民と同じく普通の社会人であり、真剣に責任を持って自らキリスト者としての召し出しを、その最後の結果に至るまで実行するよう努力を傾けていると強調する必要はないでしょう。

 私の子供たち(メンバー)と一般人とを区別するものは何もありません。逆に、同じ信仰に生きるという点を除けば、修道会や修道院に属する人との共通点はありません。私は、修道者を心から愛しています。教会の聖性の別のしるしとしての修道生活と修道者の使徒職、世間からの隔離(世を軽蔑する生き方)を敬い、称賛しています。しかし、私は修道者になる召し出しを主からいただかなかったのですから、修道者としての召し出しを望むならば、それは混乱としか言いようがありません。いかなる権威も、私を修道者にすることはできません。いかなる権威も私に結婚を強要できないのと同じです。私は在俗司祭です。情熱を込めてこの世を愛しているイエス・キリストの司祭なのです。

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