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完璧な仕事

 ご存じのように、この聖書の教えは、オプス・デイの精神の核心をなすものです。この教えに従うなら、仕事を完全にやり遂げ、日々の些細な事柄に愛を込めることによって、神と人々を愛し、小さなことの中に隠れている〈聖なるもの〉を発見できるようになるでしょう。この意味で、あのカスティーリャ地方の詩人の言葉が見事に当てはまります。「ゆっくりと丁寧にやれば、良い出来映えにつながる」。(ゆっくりと丁寧に、何事であれ、成すだけでなく、仕方が大事。

 皆さん、キリスト信者が、重要でないと思われる日常の事柄を愛の心で果たすなら、それは神的な値打ちに満ちたものになると保証します。だから私は、キリスト信者の召し出しとは毎日の散文を英雄詩に変えることだと、幾度となく繰り返してきたのです。天と地は地平線でひとつになるように見えますが、実はそうではありません。天と地が本当にひとつになるのは、日常生活を聖化しようとする皆さんの心の中なのです。

 今、日常生活を聖化すると申しましたが、私はその言葉の中にキリスト信者の務めのすべてを含めています。無駄な夢を見たり、実現不可能な理想を育んだり、空想を描いたりするのはやめましょう。私はこの種のものに〈ないものねだり〉という名を付けました。結婚していなかったら、こんな仕事に就いていなかったら、もっと健康に恵まれていたら、もっと若かったら、もっと齢を重ねていたら、など。しかし、こんなことを考えず、主がおられるところ、つまり、もっと実質的でもっと身近な現実に真剣な態度で携わってください。復活されたイエスは「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある」と、仰せになったではありませんか。

 社会人としての物の見方

 いま述べた真理から考えると、皆さんが生活しておられる世俗社会のたくさんの面に光を与えることができます。例えば、社会の一員としての行動について考えてみましょう。教会や聖堂だけでなく、この世界こそキリストとの出会いの場であると知る人なら、世界を愛するはずです。知的にも専門的にも良い形成を受けるよう努め、自らが活動する分野の諸問題について、自由に考えを育む。その結果、独自の判断を下すでしょうが、それは、単に自分の判断に留まらず、人生の大小様々な事柄の中に神のみ旨を見つけるために謙遜な努力を続けるキリスト者の判断になることでしょう。

聖書への参照
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