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こう数えあげてみると、日常の生活こそキリスト信者の本当の生活の場であることが、絵を見るように明らかになり、脳裏に焼き付くのではないでしょうか。皆さん、兄弟である人々のいるところ、希望の実現をめざして仕事に従事し、愛情を捧げるところ、これこそ皆さんが日々キリストと出会うところです。この世の最も物質的なものの真っ只中こそ、神と人々に仕えて自らを聖化すべきところなのです。

 私が聖書の言葉を使って常に教えているように、世界は良いものです。それは神の御手から出たもの、神の被造物であり、神なるヤーウェがご覧になり、「よし」と思われたからです。良い世界を悪いもの、醜いものとしたのは、人間の罪と不信仰です。皆さん、決して疑わないでください。この世に属する皆さんのような男女が、日常の正当な諸現実から逃げ出すようなことがあれば、それは神のみ旨に反する生き方になります。

 逆に、人間生活の社会的、物質的、世俗的な仕事の〈中〉で、それらを〈通して〉、神に仕えるよう招かれていることを、いま改めてはっきり理解していただかなければなりません。研究所、病院の手術室、兵舎、大学の教壇、工場、作業場、田畑、家庭、その他広範にわたるあらゆる種類の仕事の中で、神は日々私たちを待っておられます。ぜひ知っておいてください。ごくありふれた状況の中に、聖なること、神的なものが隠れています。そして、それを見つけ出すのは、私たち一人ひとりの責任なのです。

 キリスト教的物質主義

 一九三〇年頃、私のもとに来ていた学生や労働者に、霊的生活を〈物質化〉できなければならないと教えていました。当時も今も頻繁に見られる一種の二重生活への誘惑から守りたいと望んでいたのです。すなわち、一方では、内的生活、神と関係を保つ生活を営み、他方では、それとは係わりない全く別の生活、現在の些細な事柄に満ちた家庭生活や職業生活、社会生活を営む誘惑です。

 皆さん、二重生活は避けてください。二重生活を送るべきではありません。キリスト信者でありたければ、分裂した生活を送ってはならないのです。あるのはただ一つ、霊と肉からなる生活です。このたった一つの生活が神に満ちたものとなり、霊魂とからだ両方を聖化するものでなければなりません。そして、目に見えない神に出会うのは、この最も目に見えやすい物質的な事柄の中においてなのです。

 皆さん、平凡な日常生活の中で主に出会うことができるか、いつまで経っても出会わないか、これ以外に道はありません。それゆえ私たちは今、ごくありふれたものや状況に、本来の高貴な意味を取リ戻させ、神の国に役立たせ、霊的なものにする必要があると言えます。それには、すべてをイエス・キリストとの絶え間ない出会いの手段とし、機会にしなければなりません。

聖書への参照
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