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活動は、祈りがなければ何の価値もない。そして、祈りはそれに伴う犠牲によってより価値が高くなる。
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第一に祈り、次いで償い、第三に、実に三番目に活動。
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祈りは霊的な建物の基礎である。祈りは全能である。
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「わたしたちにも祈りを教えてください」。すると主はお答えになった。祈るときは、こう言いなさい。「天におられるわたしたちの父よ、…」。
口祷は大切にすべき祈りだと、つくづく思う。
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ゆっくりと。誰が、どなたに、何を申し上げているかを考えなさい。考える余裕のないほど急いで唱えても、空き缶をたたくに等しく、騒音を出しているに過ぎない。
聖テレジアと共にあなたにはこう言おう。それは祈りとは言えない、いくら口を動かしていても、と。
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あなたの祈りは典礼的な祈りであるべきだ。個人的な祈りや独自の祈りよりも、詩編やミサ典書の祈りを好んで唱えてほしい。
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「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つひとつの言葉で生きる」と、主は言われた。パンと言葉、つまりホスチアと祈り。この二つがなければ、超自然の生活を営むことはできない。
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流刑の地であるこの世の生活を忍びやすくするため、あなたは語り合いと愛情と交際の友人たちを求めている。友人は時として裏切るが、友を求めて悪いとは思わない。
ところで、どうして、決して裏切ることのない〈偉大な友キリスト〉と共に過ごし、共に語り合うことを、日毎より熱心に求めないのだろう。
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「マリアは良いほうを選んだ」と、聖書にある。師キリストの傍らにいて、その言葉を細大もらさず聴いている。見たところ何もしていないようだが、マリアは祈り、そして愛する。その後、町や村で教えを説くイエスに付き従う。
祈りがないと、主に付き従うのはなんと難しいことか。
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どう祈ればいいのか分からないというのか。神のみ前に身を置きなさい。そして、「主よ、祈り方が分かりません」と申し上げ始めた瞬間に、確実にあなたは祈りを始めているのである。
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あなたは手紙を書き寄こした。「祈るとは神と話すことですが、何について話したらいいのでしょうか」。何について? 神について、そしてあなた自身についてである。喜び、悲しみ、成功と失敗、気高い理想、日々の心配事、…数々の弱さ、さらに感謝と祈願、そして神の愛と償い。
要約すれば、主を知ることとあなた自身を知ること、つまり〈親しく付き合う〉ことである。
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〈黙想のうちに火は燃え上がる〉。このために、祈りに赴くのである。燃え上がる焔となって熱と火を与えることができるために。
だから、もう祈りを続けることができず、あなたの火が消えたように思え、香りのよい薪をくべることもできない時は、短い口祷や射祷(呼祷)を小枝や枯葉のつもりで投げ込んで、火を絶やさないようにしなさい。そうすれば時間を活用したことになる。
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あなたは自分がたいへん惨めな存在であることを知って、自分は神に耳を傾けていただく値打ちがないと認めている。しかし、マリアの功徳や主の御傷の数々は何のためだったのか。しかも、あなたは神の子ではないのか。
そのうえ、神は必ずあなたの願いを聞いてくださる。「主は恵み深く、その慈しみは永久だから」。
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主はこんなに小さくなってくださった。ほら、幼子になられたのだ。あなたが信頼して近づくことができるために。
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「主よ、わたしはあなたに希望を託した」。人間的な手段と共に、私の祈りと私の十字架を捧げました。そして、私の希望は空しくなりませんでした。「わたしは永久に恥をうけないだろう」。これからも欺かれることはないでしょう。
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イエスは言われた。「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」。
祈りなさい。これほどの成功を保証する商売が他にあるだろうか。
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祈りのとき、主に何をお話ししていいか分からない。何も思い出せないが、相談したいことがたくさんある。それなら、一日中、神のみ前で考えたいと思う事柄をメモしておきなさい。そして、後で祈るとき、そのメモを持って行きなさい。
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司祭の祈りと奉献生活をする乙女たちの祈りに続いて、神に最も喜んでいただける祈りは、子供と病人の祈りである。
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祈りに赴くときは、次の決心をしっかり守りなさい。慰めを得ることができても長く祈らず、無味乾燥な祈りになっても短くしないこと。
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祈るとき、イエスに、慰めをくださいと願わないように。慰めをくださるなら感謝しなさい。それよりも常に〈祈り〉に堅忍したいと、お願いしなさい。
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根気よく祈りを続けなさい。努力が実らないように思えても、祈りに堅忍しなさい。祈りは必ず豊かな実を結ぶ。
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頭は鈍くなって働かない。無駄骨を折るばかりで、主のみ前で考えをつなぎ合わせることもできない。本当に馬鹿になったみたいだ。
無理をせず、心配しないことだ。私の言うことをよく聞きなさい。今こそ、心で祈る時なのだ。
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祈りのとき、心打たれた言葉を記憶に留め、一日中幾度もゆっくりと繰返しなさい。
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「夜もすがら神に祈られた」。このように、聖ルカは主について書いている。
あなたは幾度、このように堅忍したのだろうか。それなら、…。
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祈りと聖体において主と親しく交わらないで、どのようにキリストを人々に知らせるつもりだろう。
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「毎日、〈少しの間ですが〉祈っています。そうしないと、大変ですから」と書いてきた。あなたの言うことはよく分かる。
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祈りをしない聖人…? そんな聖人の聖性は信じられない。
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ある外国の著者の言葉を借りて言えば、あなたの使徒としての生き方の値打ちは、あなたの祈りの値打ちによって決まる。
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あなたが祈りの人でないなら、キリストのために働いていると言っても、あなたの意向が正しいとは思えない。
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自分は、壊れた時計のように時間外れの時を打つと話してくれたことがある。祈っている間、心は冷たく干上がっており、味気ない。ところが、予想もしない時、道を歩いている時や日々の仕事中、街中の雑踏や喧騒のなか、落ち着いて黙々と〈仕事〉に集中している時に、祈っている自分を知って驚く、と。予想もしない時? そうかもしれない。しかし、あなたの時計の、その知らせを無駄にしてはならない。霊は思いのままに吹くものなのだ。
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そのせっかちな…祈りには笑ってしまった。あなたは主にこう申し上げたのだった。「年老いたくはありません、イエスよ。あなたに出会うため長い間待ち続けるなんて辛抱できません。年老いると、今のように生き生きした心がなくなっているかもしれません。年をとってからでは遅過ぎます。今なら、あなたとの一致は、もっと凛然としていることでしょう。若者の気高い愛でお愛ししていますから」。
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あなたが実行している〈野心的な償い〉、気に入った。世界中のため、と言っているからである。よろしい。しかし、第一に来るのは、あなたの超自然の家族と血縁の家族のため、祖国の人々のためでなければならない。
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あなたは主に申し上げていた。「私を信用しないでください。私はあなたを信頼しています、イエスよ、私自身を御腕に委ねます。持っているものすべて、つまり私の惨めさをお任せします」。良い祈りだと思う。
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キリスト者の祈りは、決して独り言ではない。
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〈黙祷〉。それは、干からびた心の人に任せておきなさい。
私たちカトリック信者、すなわち神の子は、天におられる私たちの御父と語り合うのである。
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霊的読書を止めてはならない。霊的読書のおかげで多くの人が聖人になった。
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あなたは手紙に書いていた。読書の時、私は燃料庫を一杯にします。それらは役に立たない燃料の山に見えますが、その山から、記憶の赴くままに材料を取り出して祈りの生活に生気を与え、聖体拝領後に感謝の心を燃え上がらせることができるのです、と。
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