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再び思い出してください。「時は短い」28、しかも、わずかの時間しか残っていないのです。この世での生活は束の間です。しかし、時間の活用に必要な手段はすべて揃っていますから、神がお与えになった機会を利用するには善意さえあればよいのです。主がこの世においでになって以来、私たちとすべての人々の「恵みの日、救いの日」29が始まりました。父なる神はご自分の怒りをエレミヤに託されました。「空を飛ぶこうのとりもその季節を知っている。山鳩もつばめも鶴も、渡るときを守る。しかし、わが民は主の定めを知ろうとしない」30と。このような怒りが私たちに向けられることのないように、全力を挙げて努力したいものです。

 時期はずれや厄日は存在しません。神に仕えるには、毎日が絶好の日なのです。厄日とは、信仰の不足や、神と共に神のために働くのを厭う、怠惰と怠慢によって台なしにしてしまう日々のことです。「どのようなときも、わたしは主をたたえ(る)」31。時間は、険しい岩壁をつたう水のように指の間をすり抜けて消える宝、訪れては去りゆく宝です。昨日は過ぎ去り、今日も去りつつあります。明日という日も間もなく昨日になってしまう。人の一生とは短いものです。しかし、神の愛のためであれば、わずかな時間しかなくても沢山のことを成就できるのです

 どれほど知恵をしぼって弁解しようとも無益なことです。神は寛大の限りを尽くして、忍耐強く諭し、喩え話で掟を説明してくださいました。しかも休みなく繰り返してくださいます。フィリポに言われたことは、そのまま私たちに向けることができるのではないでしょうか。「こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか」32。一日中、時間を浪費しないで真剣に働き、「一日の労苦と暑さ」33を喜んで忍ぶ時がもう到来しています。

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