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私たちは天の祖国に向かう旅人ですから、私は好んで道について話します。あちこちで大きな困難に出合うこともあれば、時には川を歩いて渡り、踏み入り難い森に分け入るべきときもあるだろう。しかし、たいていの場合、何の変哲もない、なだらかな道をたどるだけでよい。私たちにとって最大の危険とは、慣れに陥ってしまうこと、すなわち、各瞬間の出来事があまりにも単純で平凡であるために、そのようなところに神はおいでにならないと考えてしまうことです。

あの二人の弟子はエマオに向かって歩いていた。その道を通る多くの旅人たちと同じ歩調で普通に歩いていました。すると、そこヘイエスが何気なくお現れになり、彼らと共に歩み、語りかけ、疲れを癒されたのです。私にはその場面が想像できます。すでに夕やみが迫っている。そよ風が吹き、周りを囲むのは稔りに撓む穂をたたえた麦畑。オリーブの老木も繁っている、鈍い光を浴びて枝を銀色に輝かせながら。

路上のイエス。主よ、あなたは常に偉大な方です。日常の雑事に取り紛れている私たちを捜して、後を追って来てくださると思うと、胸に熱いものがこみあげてきます。主よ、光栄を内に隠しておいでになるときも、あなたであることを悟ることができるよう、鋭い頭脳と清らかな瞳、純な心をお与えください。

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