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こういう献身ができれば、使徒職への情熱は火のように燃え上がって日毎に強まり、その情熱を人々にも移さずにはいられなくなる。善は広がる性質をもっているからです。哀れな我々ではあっても、神の傍にいることさえできれば、焔と燃え上がらぬはずはありません。世界中に喜びと平和を<振り撒き>、キリストの傷ついたわき腹39から湧き出る救いの水を世界中に注いで、あらゆる仕事を神の愛ゆえに始め、そして、終えるために力を尽くさぬわけにはいかなくなるのです。

先ほど、悲しみと苦痛と涙について話しました。しかし、次のように断言しても辻褄の合わぬことを言うことにはなりません。愛を込めて偉大な師を探し求める弟子にとって、悲嘆や苦痛には独特の味わいがあります。たとえ神経は参ってしまい、苦痛が耐え難く思われても、忠実な子にふさわしく神のみ旨を心から受け入れ、神の計画を喜んで果たすやいなや、苦しみは直ちに消えてしまうからです。

聖書への参照
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