308

修徳主義だろうか、それとも神秘主義だろうか。いずれでも構わない。修徳主義であろうが神秘主義であろうが、問題ではありません。いずれにしても神の慈しみのあらわれであることに変わりはない。あなたが黙想に努めるなら、神は必ず助けをお与えになるでしょう。大切なのは信仰と信仰から生まれるわざなのです。わざであるというのは、あなたも最初から経験し、私もその都度強調したように、日毎に、より多くを要求なさる主に応えねばならないからです。これが観想であり交わり、一致です。たとえ気づく人は少ないとしても、これこそ大部分のキリスト者のあるべき姿なのです。この世界で営々と生活に励む信者が、無限とも言える内的生活の様々な道から、自分に固有な内的生活の道を選び、歩んで行かねばなりません。

日々の仕事を放棄しなくてもできる祈りの生活のおかげで、現世的に正しい抱負実現に努力し、神に近づくことができる。こういった日常の活動すべてを神に向けて高めるとき、世界を聖化することができます。手に触れるものをすべて金に変えたというミダス王の伝説を幾度も聞いたことがあるでしょう。私たちは過ちを重ねるばかりではありますが、触れるものをすべて超自然的に功徳のある金に変えることもできるのです。

この点を別の言語で