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大勢の人々が子供の時から繰り返している口祷から始めてみましょう。口祷は、神に、そして、私たちの母マリアに捧げられる短いながらも熱烈な愛の言葉です。今でも私は、毎日、朝も夜も、両親から教わった奉献の祈りを唱えています。「御母マリアよ、あなたに私のすべてを捧げます。あなたを愛し、私の眼、耳、舌、心のすべてをあなたに捧げます。…」。これはすでに、ある意味で、観想の始まりであり、信頼に満ちた依託の明らかな証拠ではないだろうか。恋人たちが出会うとき、どのような言葉を交わすだろう。どのような仕草をするのだろうか。愛する人のために、自己の存在と所有するすべてを捧げるのではありませんか。

まず、射祷を一つ唱えることから始めて、次第にその数を増していくが、燃えるような射祷とはいえ、そのうちにそれだけでは充分でないと感じ始める。言葉ですべてを言い尽くすことができないから。そこで、神との親密な交わりへの道が開かれ、倦まず弛まず神を見つめるようになる。そうなると、捕われ人、虜になったように感じる。そして、力に限りがあり過ちを犯しつつも、最善を尽くして、職業上、身分上の義務を果たしているならば、心はそこから逃れて神に向かうことを熱望する。ちょうど鉄が磁石に吸い寄せられるように、甘美な驚きのうちに、いとも効果的にイエスを愛し始めているのです。

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