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神と語らう

「わたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く」3。主に話しかけ、主と語り合い、主に祈り求めるのです。そのためには、「絶えず祈りなさい」4と勧める、使徒聖パウロの忠告を実行しなければなりません。たとえ何が起ころうとも絶えず祈るのです。「心の底から、そして、全心を込めて」5。

人生が常に楽であるとは限らない。人生には不愉快なこと、辛いこと、悲しいことがつきものだと考えることでしょう。ところでそのような考えにも聖パウロが答えてくれています。「死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない」6と。何事がおこっても、神の愛、偉大な愛である御方、父なる神との絶えざる交わりから、私たちを引き離すことはあり得ないのです。

神との絶え間ない一致を勧めるということは、大部分のキリスト者にとって、とても到達できそうもないほど高い理想を掲げることにならないだろうか。確かに、高い目標には違いない。しかし、到達できないことはありません。聖性に至る道は祈りの道です。小さな種子が時を経て青々と生い繁る大樹に成長するように、祈りも心の中で少しずつ根をおろしていかなければなりません。

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