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「実に、神のみ心は、あなたがたが聖なる者となることです」1。聖パウロのこの叫びに注意して耳を傾けると、心が強く揺さぶられます。そこで今一度、私たちが聖人になることこそ、神のお望みであることを考え、私自身が聖人たらんと決心すると同時に、皆さん方に、またすべての人々に、神のこのみ旨を思い起こして欲しいと思います。

真の平和で心を満たし、世を改め、現世において、現世の事柄を通して主なる神に出会うには、私たちが各々聖人になるほかありません。幾多の国の、様々な社会環境の人々と話すとき、次のような要望をしばしば受けました。結婚している者たちに何かおっしゃってください、農業にいそしむ者たちに何か一言を、夫に先立たれた者たちに何か一言を、青年たちにも一言を、など。

「釜は一つしかない」。これが私の決まった返事です。ついで、イエス・キリストは人の差別をせず、どのような人にも福音を教えたことを、詳しく説明することにしています。一つの釜からとる同じ食物。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである」2。青年も老人も、未婚者も既婚者も、健康な人も病気の人も、教養のある人もない人も、どんな仕事をしていても、どこにいても、一人ひとりが聖性に召され、各々に愛が求められています。神をいよいよ信頼し、神との親密さをいや増す方法は、一つしかありません。そして、その唯一の方法とは、祈りにおいて主と交わり、主と語り合い、心と心の触れ合いのうちに、主への愛を示すことなのです。

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