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天を見つめながら

希望の徳に成長し、「望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する」30という信仰を土台にしてしっかりと立ちましょう。この徳に成長するとは、愛を増してくださいとお願いすることです。なぜなら、全力を尽くして愛する者しか、全幅の信頼を置くことはできないからです。主はお愛しする値打ちのある御方です。愛に酔った人は、愛するものと心臓の鼓動を同じにするほど見事に一致するので、安心して自らを捧げるということは、私と同じように皆さんもすでに経験されたことでしょう。ところで、相手が愛そのものである神ならどうなるでしょう。キリストは私たち一人ひとりのために死んでくださったことがまだ分からないのですか。このように惨めで卑しい私たちを救うために、イエスは贖いの犠牲を捧げてくださったのです。

ご死去とご復活を通して得てくださった褒賞について、主はしばしばお話しになりました。「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える」31。天国は地上の歩みの終着点です。イエス・キリストは先にそこへ行かれ、私が心から愛する聖母マリアと聖ヨセフ、天使たちと諸聖人に伴われて私たちを待っていてくださいます。

使徒の時代から現在に至るまで、いつの時代にも異端者が現れ、キリスト者からこの希望を奪い去ろうと試みました。「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」32。イエスは道であり、真理であり、命ですから33、私たちの歩む道は神の道です。この道を神から離れずに歩む限り、必ず永遠の幸福を得ることができるのです。

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