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大切なこと、それは戦い  

私たちの平安を奪い去るために悪魔が好んで用いる策略について、注意を促しておきたいと思います。悪魔は休暇を取らないことを忘れないでください。前進するどころか嘆かわしくも後退しているのではないか、自己改善の努力にもかかわらず悪くなる一方ではないのか、誘惑に襲われて、このように考えてしまうときがあるかもしれません。しかし、心配しないでください。たいていは、錯覚にすぎませんから、すぐに追い払えばいいのです。このような場合、魂は以前にも増して細やかに、良心は鋭く、愛はさらに自らに厳しくなっているのです。ひょっとすると、恩寵の働きが一層強くなり、それまで暗闇の中で気づかなかった数多くの細かな点に光を当てているのかもしれません。いずれにせよ、不安の原因は糾明する必要があります。私たちがさらに謙遜になり寛大になるよう、主が光を与えて照らし出してくださっているときだからです。神は摂理によって、私たち子供を成長させるために、休みなく、寛大な心で導き、助けの手を差し伸べ、大小の奇跡をしてくださるのです。

「この世にいることは人にとって兵役であり、その日々は日雇いの日々のようだ」25。この法則を免れている人はいません。そんなことは知りたくもないと思う怠け者も、またキリストの軍隊から脱走して他の戦いに加わり、怠け心や虚栄心、卑しい野心を満足させようと奔走する人々、言い換えれば、自己の欲望の奴隷となった人々でさえ、この法則から逃れることはできないのです。

戦いが人間につきものであるなら、是が非でも義務を果たしたいものです。自ら望み、正しい意向をもって、神がお望みになることを探し求め、祈り、そして働くのです。こうして、神を求める心は満たされますから、一日を終えるにあたり、走るべき道程が長いことに気づいても、聖性に向かって小止みなく歩み続けることができるでしょう。

「我、仕えん」。毎朝この言葉で決意を新たにしてください。譲歩はすまい、怠惰や物臭に足をすくわれまい、希望に満ちて楽観的な心で日々の義務をしっかり果たそう。こうして、小競り合いに敗れることがあっても、信実の愛徳唱を唱えるなら失敗を克服できると確信しましょう。

聖書への参照
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