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ぶん、これまでは、もっと近くからキリストに従うべきことに気づいていなかったのではないでしょうか。小さな自己放棄のわざでも、主の救いのわざに合わせることができることに気づいていなかったのではないでしょうか。仕えたくないと執拗に神に敵対するルチフェルのわざ、あらゆる時代の罪と私たちの罪、これらすべてを贖ってくださる主に一致できるのに、それに気づかなかったのではないでしょうか。主に愛の讃歌を歌うために、吝嗇な心や小さな犠牲を捧げる決心をしないで、「主よ、愛すべき聖心を痛めたことを悲しく思います」などと言えるわけがありません。まことの償いを捧げて、愛と献身の道を直進しましょう。キリストと同じように、償いのため自らを神に捧げ、人々の救霊のため愛徳の実行に努力するのです。

 さあ、急いで愛を実行してください。愛する心があれば不平や反発は消えます。しばしば忍耐して障害を克服するけれども、悲しみに沈んでしまうようでは、神の恩寵をむだにするだけでなく、神がそれ以上要求なさることもできなくなってしまう。「喜んで与える人を神は愛してくださる」23のです。愛の虜になり、心から喜んで与える人、未練がましい与え方をしない人になれば、神の愛を受けることができるのです。

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