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天の御母に助けを求める時がきました。聖母があなたを腕に抱き、御子の慈しみ深い眼差しを執り成してくださるためです。それからすぐに、具体的な決心を立てましょう。たとえ苦痛が伴っても、神とあなただけがよく知っているその些細なことを、今度こそ、断ち切ってしまいなさい。高慢と快楽、それにあまりに人間的な見方が一緒になって、「そんなものまでも捨てるのか、取るに足りないことではないか」と囁きかけるでしょうが、誘惑とは話し合いをせずに、はっきりと言ってやりなさい。「こんな些細なことでも神のお望みだから果たすのだ」と。理由はいくらでもあります。愛がこもっているかいないかは、些細なことに気を配っているか否かによって分かります。主がお望みになる犠牲は、たとえ辛くとも、たいていはとても小さなことでしょうが、心臓の鼓動のように絶え間なく実行されるべきであり、そうすればこそ、値打ちがあるのです。

 ドラマの主人公のように勇敢な母親は大勢いるわけではありません。とはいえ、見世物的要素をもたず、それゆえ決してニュースにはならないが、常に自らを否定し、子供の幸せのために、好みや興味、時間や種々の可能性を、喜んで捧げて生きる母親、本当に英雄的な母親は、大勢いることでしょう。

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