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  祈りというものは、あるときには頭で考えをたどりながら続け、またあるときには、と言っても数えるほどだろうが、熱烈にもなる。そして、おそらく多くの場合、乾き切った無味乾燥の祈りだろう。しかし、あなたに大切なのは神の助けを得て、気を落とさないことである。

警備に当たる哨兵のことを考えてみなさい。王や国家元首が宮殿にいるかどうかも、何をしているかも知らない。そのうえ、たいていの場合、その重要人物も誰に守ってもらっているか知らないものである。

相手が神の場合、このようなことは起こらない。神はあなたの住む所に住み、あなたのことを気遣い、あなたとあなた自身の心の奥にある思いも良くご存じである。祈りという警備をおざりにしないように。

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