463 祈りというものは、あるときには頭で考えをたどりながら続け、またあるときには、と言っても数えるほどだろうが、熱烈にもなる。そして、おそらく多くの場合、乾き切った無味乾燥の祈りだろう。しかし、あなたに大切なのは神の助けを得て、気を落とさないことである。 警備に当たる哨兵のことを考えてみなさい。王や国家元首が宮殿にいるかどうかも、何をしているかも知らない。そのうえ、たいていの場合、その重要人物も誰に守ってもらっているか知らないものである。 相手が神の場合、このようなことは起こらない。神はあなたの住む所に住み、あなたのことを気遣い、あなたとあなた自身の心の奥にある思いも良くご存じである。祈りという警備をなおざりにしないように。 この点を別の言語で 選択するEspañol (原文)БългарскиCatalàČeskyDeutschEnglishFrançaisHrvatskiItaliano한국어LietuviškaiLatviešuMagyarNederlandsPolskiPortuguês BrasileiroPortuguêsRomânăРусскийSlovenskySlovenščinaSvenska简体中文繁體中文…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/surco/463/ (2024/04/28)