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ミサと信者の生活

 ミサにおいて、聖三位一体ご自身が教会に与えられますから、ごミサによって私たちは信仰の主要な秘義に導かれることになります。こうして、ごミサはカトリック信者の霊的生活の中心であり根源であることがよくわかります。ごミサはすべての秘跡が目指す秘跡です18。洗礼において与えられ、堅信によって強められ成長した恩恵の生活は、ごミサによって絶頂に達するのです。「ご聖体にあずかることによって、聖霊が私たちを神化してくださっていると感じます。ごミサにおいて聖霊は、洗礼の時のようにただ単にキリストに同化させるだけでなく、私たちをキリストに結びつけ、完全にキリスト化させてくださるのです」19と、エルサレムのキリルスは述べています。

 聖霊を注がれ、キリスト化された私たちは、自分が神の子であることを自覚するのです。愛そのものである聖霊は、私たちが愛に基づいて生活全体を築きあげるようにと教えてくださいます。そして、キリストと「完全に一つに」20なれば、聖アウグスチヌスが聖体について述べているように、私たちは「一致の印、愛のきずな」21になることができるのです。

 ある信者にとってごミサは、社会の因襲とまでは言わなくても、単なる外面的な儀式に過ぎず、またある人はごミサについて極めて貧弱な考えしか持っていない、と私が述べても、別に変わったことを言っていることにはならないでしょう。私たちの心は全く哀れなもので、神がお与えになった最も偉大な賜物にさえも慣れてしまうのです。ごミサ、今捧げるこのごミサには、繰り返して申し上げますが、聖なる三位一体の神が特に介入なさいます。この深い愛に応えるために、心身共に、すべてを捧げる必要があります。神に耳を傾け、神に話しかけ、神を見、神を味わうのです。そして言葉に言い尽くせないときには、元気を出し、全人類に向かって主の偉大さを称え、「口よ、うたえ、光栄ある聖体を」と歌うのです。

聖書への参照
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