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信仰の

 キリストとの一致という目標は簡単には達成できません。けれども、もし、主がお教えくださったように、主が私たちの食物として残してくださったご聖体の秘跡を生活の糧とし、聖書をひもとく毎日を過ごすならば、さほど難しいことではありません。私の郷里の古い民謡にあるように、キリスト信者の道とは、歩み続けることなのです。神は私たちを間違いなく確かにお呼びになりました。博士たちのように私たちも、霊魂の空に、星と光と行先を見つけたのです。

「わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」4。これはまさしく私たちの経験です。心の中に新しい光が少しずつ輝きはじめるのに気づきました。新しい光とは完全なキリスト信者になりたいという望み、敢えて言うならば、神を真剣に受けとめたいという切望です。もし皆さん方がそれぞれ、超自然的召命に応えるに至った経緯をお話しになれば、人々は、確かにそれは神からのものであったと判断することでしょう。父である神、子である神、聖霊なる神、そして天から降るすべての祝福の仲介者である聖母マリアに、この賜物に対する感謝を捧げましょう。この賜物は、信仰の恵み同様、主が人間にお与えになるもののうちで最も大きな賜物です。それはまた、専門職や社会的任務に従事していても聖化は可能であるばかりでなく、必要であるとの確信を伴った熱意、完全な愛徳に達したいという非常にはっきりした熱意のことなのです。

 なんと丁寧に主がお招きくださるかを考えてみましょう。人間の言葉を使ってまるで恋人のように囁いておられます。「あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ」5と。美であり、偉大な御方、知識である神は、私たちが神のものであり、神の無限の愛の対象に選ばれたことを知らせてくださっています。神の摂理によって私たちの手の中に置かれた素晴らしい賜物を失わないためには、しっかりとした信仰生活が必要です。砂漠も嵐もオアシスでの安らぎも、永遠のベトレヘムに向かう努力、つまり神との最終的な一致に向かう努力の妨げにはならないという深い確信、博士たちのような信仰が必要なのです。

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