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母なる教会は、常に自由を守るために発言してきましたし、時代を問わずあらゆる種類の宿命論を排斥してきました。目的の善悪にかかわらず、人それぞれが自分の運命を決定すべきであると、教会は常に教えてきたのです。「善から遠ざからない者は永遠の生命に至り、悪を犯すものは永遠の火に入るであろう」33。人間の高貴さのしるしでもあり、誰もが有するこの驚くべき能力には、いつになっても圧倒される思いがします。「罪は全く意志による悪であって、意志的でなければ、いかなる仕方によっても罪は生じないのである。このことは充分以上に明らかであって、賢者も無学な者も、これに反対はしない」34。

 わが主、わが神に向かって、再び感謝の意を表したいと思います。罪を犯しえない私たちを造り、有無を言わさず善に向かわせることもできたのに、そうはせず、「自由に仕える召使いの方が良いと判断された」35からです。御父の愛と慈しみの深さには、感嘆するほかありません。ご自分の子供たちへの想像を絶するほど大きな神の愛を前にして、父である神、子である神、聖霊である神を称え続けるために、幾千幾万もの口と心をもちたいと思います。摂理によって宇宙を統治される全能の御方は、強制されて動く奴隷ではなく、自由な子供をお望みになりました。私たちは人祖の堕罪により罪への傾きをもって生まれますが、神は一人ひとりの魂の中にご自分の無限の知性の閃きと、善に心惹かれ、永続する平和を切なく恋焦がれる能力とを、注ぎ入れてくださいました。そのおかげで、真理と幸福と自由を得るのは、心の中で永遠の生命が芽を出すように努力するときであることが分かるのです。

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