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マリアをごらんなさい。これほど深い謙遜をもって神の計画にあずかった人がいたでしょうか。主のしため37の謙遜は、聖母マリアを私たちの喜びの源として呼び求める動機でもあります。エバは、神と同等になるという気違いじみたことを望んで罪を犯し、恥じ入って神から遠ざかり、悲しみに陥りました。マリアは、主のしためであることを宣言し、<みことば>の母となって喜びに満たされました。この良き御母の喜びが私たち全員に<感染>しますように。謙遜において聖母マリアに似ることができますように。私たちがよりキリストに似たものとなることができますように。

聖書への参照
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