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十字架の道行 |
十字架の道行 >
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わたしの主、わたしの神、聖母マリアの慈しみ深い眼差しのもと、わたしたちの救いの代償として歩まれた苦しみの道を、あなたと共に歩むつもりです。あなたの苦しみをすべて忍び、罪の痛みに泣くわたしたちの哀れな心をお捧げしたいと思います。まことに罪深いのはわたしたちで、あなたは罪なきお方であるのに、わたしたちにためにお亡くなりになりました。
わたしの母、悲しみの聖母、土くれでできたわたしたちが<神の子としての自由と光栄>のうちに過ごすために、御子が地上でのご生活中お望みになったあの苦しみの時を、わたしたちが再び<生きる>ことのできるよう、お助けください。(十字架の道行、はじめの祈り)
カルワリオでの場面を黙想した結果、オプス・デイ創立者は主の受難の黙想に役立つこの十字架の道行を準備しました。
十字架の道行は決して悲しい勤めではありません。聖ホセマリアがたびたび繰り返したように、「キリスト信者の喜びは十字架の形をした根をもっています」。キリストの受難は悲しみの道であることは確かですが、それはまた希望と確実な勝利の道でもあります。師は説教で次のように説明しています。「あなたが満足していることを主はお望みです。出来るだけ努力をすれば、たとえあなたの十字架が絶えることはないとしても、この上なく幸せになることができるはずです。十字架は単なる刑具ではなく、支配者キリストの玉座になります。十字架のかたわらには我らの母でもある聖母がおいでになり、確かな足取りで御子の後に従うために必要な力を与えてくださるでしょう」。 |
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