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  死は容赦なく訪れる。とすれば、この世での生活をすべての中心に置くことは、なんと空虚な虚栄であることか。大勢の男女がどれほど苦しんでいるか考えてみなさい。ある人は、一生を終えるときになっても、この世が去り難くて苦しむ。別の人は、一生がまだ続くので退屈して苦しむ。いずれの場合も、この世での歩みを目的そのものであるかのように主張する根拠にはならない。

このような考え方を捨て去って、永遠の論理に錨を下ろさなければならない。根本的な改革が必要なのだ。すなわち、自分自身と儚い自己中心的な動機を空にして、永遠であるキリストにおいて生まれ変わるのである。

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