846

  キリスト者の夫婦ならば、生命の源を塞ぐことなど望んではいけない。夫婦の愛の基となるのはキリストへの愛であるが、そのキリストは自らを捧げて犠牲となってくださった。また、トビアがサラに思い出させたように、「わたしたちは聖徒の子、わたしたちが一緒になるとき、神を知らぬ異邦人のようであってはならない」ことを夫婦は知っている。

聖書への参照
この点を別の言語で