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  性急に、また度を越すほど、職業上高い地位に就くことに心を奪われている場合、〈人々に仕える〉という口実とは裏腹に、自己愛を包み隠している可能性がある。文字通りの欺瞞だが、ある種の機会や有利な状況を無駄にすべきではない、と自らを不当に正当化するのである。

 イエスに視線を戻しなさい。彼こそ〈道〉であるからだ。隠れてお過ごしになった歳月の間にも、公生活を繰り上げるのに〈すこぶる有利な〉時期や状況があった。たとえば、律法学士たちが十二歳のイエスの質問や答えに感嘆したときなど。しかし、イエスは御父のみ旨を果たしつつお待ちになる。従われるのだ。

 全世界を神のもとに連れて行こうという聖なる野心を失ってはならない。しかし、有利な時期や状況を利用すべきだとの考えが浮かんでくるなら、(それは脱走したいという心の表れかもしれないから)次の点を思い出してほしい。すなわち、主が他のことを要求なさらない限り、あなたがなすべきは、従うこと、あまり見栄えのしないその目立たぬ仕事に従事することなのだ、と。主にはご自分の時と道があるのだ。

聖書への参照
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