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「これはわたしの体である」と仰せになった主は、パンの外観のもとにお隠れになり、ご自分を犠牲として捧げられた。そして今、そこに、御体と御血、ご霊魂、神性を伴っておいでになる。トマスが栄光に輝く傷口に指を差し入れたときと同じ主である。

それにもかかわらず、あなたは、あまりにもしばしば素通りし、簡単な儀礼上の挨拶さえしない。通りすがりにたまたま知り合いに出会えば必ず挨拶するのに。

あなたの信仰はトマスの信仰よりずっと浅い。

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