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  私は好んで内的生活を衣服、すなわち福音書に出てくる婚宴の礼服に喩える。それは、繊維が織りあわされるのと同じように、徳や信心の業一つひとつが集まってできた強い繊維のようなものである。破れた衣服は残りの部分が良くても値打ちがないのと同じく、祈りをし、仕事をしても、償いの人でないならば、(あるいはその逆の場合も)、あなたの内的生活は、言うならば、完全ではない。

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