249 犠牲、犠牲。確かに、主が仰せられたように、イエス・キリストに付き従うとは十字架を背負うことである。しかし、主を愛する人々には、そんなに十字架だとか放棄だとか言ってほしくない。なぜなら、愛があれば犠牲は苦しくても喜ばしいものであり、十字架は聖なる十字架であるからだ。 このように愛し、このように自らを捧げることのできる人は、喜びと平和に満たされる。それなのになぜ、慰めを求めるかのように、犠牲のことばかり言うのか。キリストの十字架―あなたの生命―はあなたを幸せにしてくれるのに。聖書への参照マルコ 8, 34ルカ 9, 23 この点を別の言語で 選択するEspañol (原文)БългарскиCatalàČeskyDeutschEnglishFrançaisHrvatskiItaliano한국어LietuviškaiLatviešuMagyarNederlandsPolskiPortuguês BrasileiroPortuguêsRomânăРусскийSlovenskySlovenščinaSvenska简体中文繁體中文…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/surco/249/ (2024/04/23)