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  〈アクマ〉。漢字で書く値打ちはないのでカタカナで書くが、そのアクマのずるさに注意せよと言っておこう。アクマは、普通の状況を利用して、私たちを神の道から少しだけ、あるいは思い切り逸らせようとするからである。

戦うなら、本気になって戦うなら、〈流れに逆らって歩まねばならない〉ときや、疲れに襲われて人間的にも霊的にも慰めのないときがあるから、驚かないように。以前、誰かが書き寄越したものを書き写そう。無邪気にも、恩恵は自然を排すると考える人のために残しておいたのである。「神父様、ここ数日、生活プランを果たそうにも怠惰と無力感に襲われて困っています。何をするにしても厭々ながら無理にしています。この危機が早く過ぎ去るようお祈りください。道から逸れるのではないかと恐れ、大変に苦しんでいます」。

私は次のように答えておいた。愛は犠牲を要求することを知らなかったのか。師イエスの言葉をゆっくりと読みなさい。「〈日々〉、毎日、自分の十字架を背負わない人は、わたしにふさわしくない」。聖書のもう少し先にはこう書いてある。「わたしはあなたたちを孤児にはしておかない」。あなたには辛いことだが、主があなたをそのような無味乾燥の状態に置かれたのだ。あなたが、もっと主を愛し、主のみに信頼をおき、十字架を背負って贖いの協力者となり、十字架に出会うために。

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