御子を見失う

 イエスはどこにおられるのだろうか。マリアよ、御子はどこにおられるのか。

マリアは泣きぬれておられる。あなたもわたしも、人々の群れから群れへ、キャラバンからキャラバンへと駆けずりまわるが、その甲斐もなく、御子を見かけた人はいない。ヨセフは懸命に泣くまいとしていたが、こらえきれず、ついに涙を…。そして、あなたも、わたしも。

 粗野な召使いであるわたしは、自分の過失で御子を見失ってしまったときのことを思い、ひっきりなしに泣きつづけ、天と地に向かって嘆きと悲しみの声をあげる。

 イエスよ、もう決してあなたを見失いませんように…。

 御子を見失った不幸と悲しみが、罪で結ばれたわたしたちを、さらにまた結びつける。そして、深い痛悔の呻きと、言いようのない熱い思いが、真心からあふれ出てくる。

 そして、イエスをやっと見つけた喜びで、心は大きな慰めを受ける。三日間も見あたらなかったのだから! イエスはイスラエルの学者たちと問答しておられた。これで、天の御父 に仕えるためには、自分の家族からも離れなければならないことが、あなたの心にも、わたしの心にも、深く刻みつけられたのではないだろうか。

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