主の変容

「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」(マタイ17,2)。

 イエスよ、あなたに出会い、話しかける。その状態に留まり、あなたの広大な美しさの中に沈んであなたを眺め、決して、決して、その観想をやめず続けます。キリストよ、だれがあなたを眺めることができるのでしょう。だれがあなたを眺めて、あなたへの愛に痛手を受けるのでしょう。

「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け、という声が雲の中から聞こえた」(マタイ17,5)。

 主よ、仰せになりたいことすべてに、耳を傾け聞き入るためにわたしたちはここにいます。お話ください。一言も聞き漏らすまいと御声に注目しております。あなたのお話がわたしたちの心に落ちて(…)わたしたちの意志を燃え上がらせ、身を投じて熱心にあなたに従いますように。

 「主よ、わたしは御顔を尋ね求めます」(詩篇 27, 9 )。わたしは夢を馳せています。目を閉じて、お望みの時に、神を眺める瞬間の訪れることを。しかも、「鏡におぼろに映った」ようにではなく、「顔と顔とを合わせて見ることになる」のを(1コリント 13,12)。そうです。「わたしの魂は乾く。いつ御前に出て、神の御顔を仰ぐことができるのか」(詩篇 42, 3 )。

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