974

 中には友人だという連中もいるが、とにかくイエスの敵たちは、人間的な学問の鎧(よろい)をまとい、権力という剣をつかみ、ダビデを軽蔑してあざわらったペリシテ人のようにキリスト者をあざわらう。

 現在も、憎悪、虚偽、権力、世俗主義、無関心主義のゴリアトは地に落ちるだろう。そのとき私たちは、見かけは弱々しい祈りと償いと行いというキリスト教的な精神の武器で、傷つけられた数々の偽りの思想という大怪物から、誤謬の鎧(よろい)をはぎとる。そして兄弟である人々にキリスト教的な生き方と文化、つまり、本物の学問を身につけさせてあげることができるだろう。

この点を別の言語で