676 イエスは死去された。死者となられた。あの聖なる婦人たちは何も期待していなかった。主がひどい扱いを受け、十字架の磔に処されるのを目の当たりにした後だった。あの苦しい受難の荒々しさは脳裏を去らなかった。 兵士たちが墓の見張りに立っていることは知っていた。墓には完全に封がなされていることも承知していた。非常に大きな石だったので、誰が入口の石を取り除いてくれるだろうかと思案していた。それにもかかわらず、婦人たちは主のお伴(とも)をするため墓を目指す。ご覧。大小数々の困難はすぐに目につく。しかし愛があれば、障害を前にしてもたじろぐことなく、確たる決意で大胆に勇敢に立ち向かうことができるのだ。この婦人たちの気力、勇気、大胆さを見ていると、我ながら恥ずかしいと白状せざるを得ないのではないだろうか。聖書への参照マタイ 28, 1–2マルコ 16, 1–4ルカ 24, 1–2ヨハネ 20, 1 この点を別の言語で 選択するEspañol (原文)CatalàČeskyDeutschEnglishFrançaisHrvatskiItaliano한국어MagyarNederlandsPolskiPortuguês BrasileiroPortuguêsRomânăРусскийSlovenskySlovenščinaSvenska简体中文繁體中文…から印刷された文書 https://escriva.org/ja/forja/676/ (2024/04/20)