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 イエスに私たちが子供であることを知っていただこう。子供たち、それも幼くて単純な子供なら、階段を一段上がるのにどれほど苦労することだろう。階段を前にして時間の浪費をしているとしか見えない。 やっとのことで一段上がって、また次の段を目指す。手足は勿論(もちろん)のこと、全身の力を振り絞って、再び勝利を得た。もう一段進んだのである。そして、また始める。大した努力だ。しかし、もう少しで昇りきるという所でつまずいた。ああ、また転び落ちた。傷だらけになって涙が溢れ出るが、幼子はやり直す。再び階段を昇り始めるのである。

 イエスよ、私たちも一人だけだとこうなってしまいます。無邪気な子供の強くて良き友として優しい腕で支えてください。昇りきるまで手を離さないでください。昇りきったその時こそ、あなたの慈しみ深い愛に対して幼子特有の大胆さでお応えすることができるでしょう。優しい主よ、夢中になってあなたを愛した人々が大勢いたとは言え、マリアとヨセフを別にすれば、私ほどにあなたを愛する人間は誰一人としていなかったし、今後もいないことでしょう。

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