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 あなたは言った。「道を進むことができない。そればかりか、惨めな私は恩恵の奇跡でもない限り、救いさえおぼつかないように思える。私は冷淡になっている、というよりもっと悪いことに、無関心な態度をとっている。自分を一つの事例と見做(みな)して気にも留めない第三者のようになってしまっている。不毛な日々なのだろうか」。

 「しかしそれでも、聖母はあくまで私の母であり、思い切って言ってもかまわないだろうか? ― イエスは私のイエスである。それのみか今も、私のために祈っている聖なる人たちがいる」。

 私は答えておいた。御母の手に掴まって歩みを続けなさい。〈勇気を出して〉イエスに、「あなたは私のものです」と申し上げなさい。主は優しい方だから、霊魂に明るい光を注いでくださるだろう。

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