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この『説教集』は待降節に始まり、王であるキリストの祝日に至るまでの典礼暦年を網羅しています。広範囲にわたる内容と豊かな表現を僅かな言葉で要約することは不可能でしょう。ともあれ、全説教を貫く根本的なテーマを探ってみたいと思います。
この『説教集』には、人々に共通の関心、従って、最も人間的な事柄と神の超絶性の結びつきが到るところに見られます。聖性は普通の生活と霊的生活という二重生活の不安定な均衡にあるとする、分裂症的な見方を、論争に入らず心静かに拒んでいるのです。それと同時に、人間性のもつ複雑さを無視して人間の霊的な面だけを重視し、すべてを精神化する誘惑をも退けています。この誘惑は、聖ホセマリアが〈自由の危機〉と呼んでいるものにほかなりません。「地平線では天と地がつながっているかに見えますが、実はそうではありません。本当に天と地とが結びつくところは、日常生活を清く生きようとするときの皆さんの心の中なのです」。
神学的な深さを挙げるべきでしょう。しかし今回の『説教集』はいわゆる神学書ではありません。具体的なテーマについての研究ではなく、社会的背景や教養が全く異なる大勢の人々に向かって、〈言語の賜物〉の導きをうけ、肉声で話されたものなのです。とは言え、ここに含まれている内容は、神の言葉についての深い造詣と知識で織りなされています。
女性や男性、学生やサラリーマン、自由業の人々などに分けて聴衆を限定して話すのではなく、すべての人々に向かって同時に話していました。キリストの愛に動かされて述べるに神の言葉は、一人ひとりの心に届くための道を必ず見つけるものであること、また外には見えなくとも聖霊が各々の心の奥に囁くので、種子はよい土地に落ちて百倍の実りをもたらすことを確信していました。 |
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