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今は好機

 あなた方が心の扉を閉ざさない限り、この四旬節の間に神は心を恩恵で満たしてくださいますから、「神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません」11とあなた方に勧めます。善い心構えをもち真摯な気持ちで生活を改め、神の恩恵を弄ぶことのないようにしなければならないのです。

 キリスト信者を動かすのはキリストに顕れた神の愛であり、この愛の教えに従って私たちはすべての人・全被造物を愛します。ですから、恐れについて話すのではなく、責任感や真剣な態度について話さなければならないと思います。聖パウロは、「思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません」12と警告しています。

 諺にあるように、大天使聖ミカエルと悪魔の双方にろうそくを灯すような生活をすべきではありません。悪魔のためのろうそくを消してしまわなければならないのです。精根尽き果てるまで挺身して主に奉仕しなければならないのです。聖人になりたいという真剣な望みを持ち、素直に自分を主のみ腕に委ねれば、何もかも巧くいくはずです。神はいつも恩恵を与えようと待ち構えておられますが、四旬節中は、私たちの新たな改心のため、そしてキリスト信者としての生活を向上させるために特に多くの恩恵を与えてくださるのです。

 今年の四旬節をただ典礼暦年の一季節が巡ってきただけだと考えてはなりません。神の助けを受け入れるべき唯一無二の時なのです。イエスは私たちの傍を〈お通り〉になります。そして私たちが、今日・すぐに生活を改めるのを待ち望んでおられます。

「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」13。今こそ絶好の機会、救いの日になり得ると聖書は教えています。またまた善き牧者の愛に満ちた呼び声が聞こえてきます。「わたしはあなたの名を呼ぶ」14。私たち一人ひとりを名指しで呼んでおられます。愛する者同士が使う親しみ深い呼び名で呼んでおられるのです。私たちに向けられたイエスの優しい愛は言葉に表すことなどできないほどです。

 素晴らしい神の愛について一緒に考えてみましょう。主は、わざわざ道の途中まで出迎えてくださいます。私たちが主を見過すことのないように待っていてくださるのです。そして、一人ひとりをお呼びになり、私たちに関係のある色々なことをお話しになります。私たちに関係のあることは主の関心事でもあるからです。心を揺さぶって痛悔の心を促し、心惜しみなく自己を与えるようにと力を貸してくださいます。そして私たちの心に、忠実になろう、主の弟子と称されるようになろうという希望を芽生えさせてくださるのです。愛情に溢れた叱責にも似た恩恵のこの囁きに気づきさえすれば、自分の罪が原因となってキリストを見ることのできなかったあの時々のことをすぐ思い出すことができるでしょう。キリストは神の御心の中にある、あの尽きることのない愛をもって愛してくださるのです。

 お聴きなさい。また繰り返しておられます。「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」15。主はあなたにご自分の愛と栄光を約束され、時が来ればお与えになります。そして今あなたを呼んでいらっしゃいます。では主に何を差し上げましょう。お通りになるイエスの愛にどうお応えすればよいのでしょうか。

 「今は救いの時である」。善き牧者の呼び声が届きます。「わたしはあなたの名を呼ぶ」、「愛には愛を返す」と言われるように、私たちも、「お呼びになったので参りました」16と答えなければなりません。岩の表面を素通りする水のように、四旬節が私たちの生活に跡形も残さずに過ぎ去ってしまわないよう努力する覚悟ができております。できるだけたくさんの教えを吸収し自己を一新します。心を改め再び主に向かって話しかけます。御身がお望みになるように御身をお愛しします、と。

「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」17。「まだ自分を愛するために心の一部を残しているのか。あなたの霊や知恵をまだ自分のために残しているのか。『すべてを尽くして』と神は仰せになる。あなたをお創りになった御方はあなたのすべてをお望みなのだ」18。

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