49

仕事はまた使徒職の機会となります。人々にキリストを示し、父である神の方へ導いていくために、自己を与える機会であり、聖霊が心に注ぐ愛徳の結果であります。聖パウロはエフェソの人々に種々の指示を与えましたが、キリスト教に召された彼らが、改宗のもたらす変化をどのようなところに表さなければならないかについても、次のように勧めています。「盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい」16。人は生きるためにこの世の糧を必要としますが、心を照らし温める天上の糧も必要なのです。仕事を手段とし、仕事を中心に繰り広げられる種々の活動を通して、また話し合いや交際において、使徒のこの命令を具体化する義務が私たちにはあるのです。

 このような精神で働くならば、たとえ現世に生きる者に固有な限界の中にあっても、私たちの一生は、愛・奉献・忠実・友情のみが支配する天国の光栄の前表、神や諸聖人との交流の前表となるでしょう。また、キリスト教的な生活を営み、キリストの恩恵に実りを与えるための実際的で尊く確かな手段を、日常の仕事のうちに見つけることができるでしょう。

 仕事を神のみ前で行うならば、信徳・望徳・愛徳を実行していることになると言えます。仕事上の出来事、人々との関係、そして仕事上の諸問題は、祈りの糧となることでしょう。毎日の仕事を成し遂げる努力を続ければ、キリスト信者になくてはならない十字架にも出合うことでしょう。人間のすべての努力に常につきまとう弱さとか失敗によって、私たちは一層現実的で謙遜になり、人々をよりよく理解できるようになることでしょう。成功や喜びのときは心から神に感謝し、生きているのは自分のためではなく、人々と神に仕えるためであることを考えることでしょう。

この点を別の言語で