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降誕祭の季節になりました。神の御子のご誕生をめぐるいろいろな出来事は私たちに様々のことを思い起こさせ、馬小屋やナザレの家は私たちの視線を引きつけます。そして、マリア、ヨセフ、幼子イエスを眺める私たちは心を奪われてしまいます。ところで、この飾り気のない、しかも称賛に価する聖家族のご生活は何を教えようとしているのでしょうか。

 いろいろ考えられますが、今日は特に次のことを取り上げてみましょう。イエスのご誕生は、聖書に書いてあるように、時が満ちたことを示しています1。それは、父である神がご自分の御子を与えることによって、人類への完全な愛をお示しになるために選ばれた時なのです。神のご意志は、母になろうとしている婦人、一つの家族、一軒の家というごく普通の平凡な状況の中で実現されたのです。神の威光・神の力は、人間性を通して人間に一致しました。それ以来キリスト信者は、神のお恵みによって、現実の生活をすべて聖化し得るだけでなく、聖化しなければならないことを知りました。どんなに小さくつまらなく見えても、キリストとの出会いや天国への階段を昇る機会となり得ないような事柄はないのです。

 従って、教会がイエス・マリア・ヨセフの慎ましいお住まいを黙想しながら喜び祝うのは、当然だと言えましょう。ご降誕の祝日の朝課にあるようにナザレの小さな家と、そこでの簡素なご生活を思い起こし、イエスのまわりの質素な雰囲気を歌い祝うことは大きな喜びです。イエスが子どものときにヨセフから仕事を学ばれ、年長けて大工の仕事を共になさったのはその家でした。キリストの横には優しい母が、ヨセフの傍には愛する妻がいました。ヨセフとイエスを助け、世話をしてあげることでマリアは幸せでした。

 キリスト信者の家庭は聖家族のような明るく朗らかなものであって欲しいと思います。ご降誕のメッセージは力強く響き渡ります。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」2。使徒パウロは、「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい」3と書いています。父である神とキリストに愛され、おとめマリアに保護され、ヨセフに守られていることを知っている者の平和のことです。これは私たちの生活を照らす大きな光であり、遭遇する困難や各自の個人的な弱さをものともせず前進するための力を与える平和なのです。キリスト信者は、毎日の小さな障害を乗り越えて、生き生きとした真の信仰の実りである誠実な愛情と深い落ち着きを感じとれる家庭をつくらなければなりません。

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