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不正を働く人たちが大勢いると言うのですか。その通りだと思います。けれども、主は繰り返して仰せになります。「求めよ。わたしは国々をお前の嗣業とし、地の果てまで、お前の領土とする。お前は鉄の杖で彼らを打ち、陶工が器を砕くように砕く」52。厳しい約束です。しかし、これは神の約束ですから、知らない顔をすることなどできません。キリストは無為に世の救い主となり、御父の右に座し、支配しておられるのではありません。これは、いずれ一生を過ごし終えたとき、私たちを待っている運命についての恐ろしい知らせです。心が悪と絶望に凝り固まっているすべての人々に、歴史が終わりを告げる知らせなのです。

 神はいつでも勝利を収めることができるのですが、説得の道を選ばれます。「すべての王よ、今や目覚めよ。地を治める者よ、諭しを受けよ。畏れ敬って、主に仕え、おののきつつ、喜び躍れ。子に口づけせよ、主の憤りを招き、道を失うことのないように。主の怒りはまたたくまに燃え上がる」53。キリストは主であり、王であります。「わたしたちも、先祖に与えられた約束について、あなたがたに福音を告げ知らせています。つまり、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです。それは詩編の第二編にも、『あなたはわたしの子、わたしは今日あなたを産んだ』と書いてあるとおりです。

 だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。それで、預言者の書に言われていることが起こらないように、警戒しなさい。『見よ、侮る者よ、驚け。滅び去れ。わたしは、お前たちの時代に一つの事を行う。人が詳しく説明しても、お前たちにはとうてい信じられない事を』」54。

 これこそ、救いの業、心の中におけるキリストの支配、神の憐れみの顕れです。「いかに幸いなことか、主を避けどころとする人はすべて」55。私たちキリスト信者は、キリストの王権を称揚する権利を持っています。いうのは、悪の舞台である人間の歴史において、たとえ不正義が栄え、愛による支配を望まない人が多数いても、永遠の救いの業は織り上げられていくからです

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