Josemaría Escrivá Obras
171

 愛の神秘

 

 これこそ愛の神秘です。人間の理性では到底理解できない真理です。被造物である人間が三位一体の神の愛と喜びが集中する対象となったのです。これほどの尊厳を受けるところまで人間が高められたわけを明らかにするのは、信仰以外にないでしょう。これは神の神秘なのです。しかし、聖母に関する神秘ですから、信仰の他の真理よりは理解し易いような気がします。

 

 もし、今一度自分の母となる人を選ぶことができるとすれば、どうするでしょうか。やはり、現在の母を選び、できる限りの愛を込めて接することでしょう。キリストもそうなさったのです。全能にして全知、愛そのもの4であるキリストはその力によってすべての望みを遂げられたのです。

 昔のキリスト信者はどのように考えたのでしょうか。ダマスコの聖ヨハネは次のように書いています。「処女性を完全に保った御方が死後も身体を腐敗から守ったのは相応しいことであった。子になった創造主である神を胎内に宿した御方が神の宮殿に住まうのは相応しいことであった。聖霊の花嫁が天の宮殿に入るのは相応しいことであった。出産のときになかった苦痛を、十字架上のキリストを見ながら心に受けた御方が、神の右に座す御子を眺めるのは相応しいことであった。神の御母が御子のものを所有し、すべての人々から神の母、神のはしためとして称えられるのは相応しいことであった」5。

 

 神学者たちはしばしば同じように考えて、聖母マリアに豊かに与えられ、その被昇天において頂点に達する恩恵のわけをなんとか理解しようと努めました。「それが相応しかった。神はそうすることができた。よってそのようになさった」6と。これは、なぜ神は聖母に無原罪の御宿りの最初の瞬間からあらゆる特権をお与えになったのか、という質問に対する答えなのです。悪魔の力に服することのなかった聖母は、霊魂と身体と共に清く美しく純粋であったのです。

 

前の 次の