97

この秘義に思いをはせる聖パウロの口から、喜びの賛歌がほとばしり出ます。ゆっくりと味わってみましょう。「互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」8。

 主イエス・キリストは、教えを垂れるとき、たびたび自らの謙遜を模範としてお示しになりました。「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」9。これは、人間が自己の虚無を率直に認めるほかに神の恩寵を引き寄せる道はないという教えです。「私たちのために主は来られた。食べ物を与えるために空腹を覚え、飲み物を与えるために渇きを感じ、不死の体をまとわせるために滅びる人間の肉体を持ち、豊かにするために貧しさのなかに来られた」10。

この点を別の言語で