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勤勉と精励

勤勉と精励、この二つは結局一つになります。いずれも、神から与えられた才能を十二分に活用するため全力を傾けるという態度に表れるからです。二つとも善徳です。すべてを最後まで完全にやり遂げるよう促すからです。一九二八年以来、説き続けてきたように、仕事は決して呪いではなく、罪の罰でもありません。神に逆らう前のアダムに対しても神は働くことをお望みになったと創世記に書いてあります9。神の計画によると、人は常に働くことによって創造という広大なわざに参加するのです。

 勤勉な人は時間を活用します。「時は金なり」というよりも、時は神の光栄であるからです。果たすべきことをやり遂げる、しかも、決して惰性や時間潰しのためではなく、注意深く考えた上で遂行する。それゆえ、勤勉は同時に精励であるというのです。勤勉、精励を意味するヨーロッパ系の言語は、ラテン語の愛する、鑑賞する、選び出すという意味をもつ動詞を語源とします。この語源となる動詞はまた、細やかで、研ぎ澄まされた、注意深い様子を表しています。ですから、慌てずに、愛を込めて、よく働くことを勤勉というわけが分かります。

 完全な人間である主は、地上での生活で、大工の仕事を選び、細やかな心遣いを示してお働きになりました。村人たちの間で一職人として仕事に精進なさったのです。ご自分の人間的、神的な仕事によって、日常の生活は小さくて価値のないものではなく、神との絶えざる出会いの場、つまり聖化の場である、とお教えになりました。知的な活動や手仕事で、神を崇め称えなければならないことをお示しになったのです。

聖書への参照
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