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この目標に到達するためには、神に愛を示すために働くべきであって、決して罰や呪いの重圧に耐える者のような働き方であってはなりません。「何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい」26。そうすれば、時間を充分活用し、日常の仕事を完全に終えることができるでしょう。私たちは、弱点だらけであるが、主がお与えになるどのような責任と信頼にもすぐ気づき、神の愛に夢中になる道具でもあるからです。神の力が支えであるからこそ、どのような仕事をしていても、ただ神を愛するためにのみ働かなければなりません。

 しかし、現実に目を閉ざした、浅はかで表面的な見方で満足するようなことがあってはなりません。道は容易であると思ったり、道を歩むには、誠実で熱心な決心さえあれば充分だと考えたりしてはならないのです。思い違いをしないでください。長年の間には、ひょっとすれば予想外に早く、非常に困難な情況に立たされて、一層の犠牲の精神と一層の自己放棄を要求されることがあるかもしれません。その時こそ、希望の徳を増し、使徒と共に大胆に叫びましょう。「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います」27。確信して平和な心で黙想してください。哀れな人間に注ぎ込まれる神の無限の愛はいかばかりでしょう。あなたの日常の仕事を通して信仰を実践し、希望を目覚めさせ、愛を生き生きとさせるべき時が訪れたのです。言い換えれば、三つの対神徳の実行によって、ごまかし、隠し立て、遠回しの表現などを用いずに、職業上の行為や内的生活における過ちをすぐに追い出すときなのです。

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