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しかしながら、善意の人の中には、信仰の美しい教えをぜひ広めたいと口では言いながら、実際の行いを見ると、軽率で、不真面目で、不注意な仕事ぶりの人がいるものです。こういう口先だけのキリスト者に出会ったら、助けるために、親切にはっきり言ってあげるべきです。必要ならば、福音的方法である兄弟的説諭を実行しましょう。「万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです」22。その人がカトリックであると公言するだけでなく、年長者であり、経験を持ち、責任ある地位にいる人であればなおさらのこと、話し合って、行いを改めるよう勧めなければなりません。辱めるのではなく、良き父・良き教師として導いてあげることによって、その人が職場で一層重きをなす人となるためです。

 聖パウロの行動をじっくり黙想すると、心打たれます。「わたしたちにどのように倣えばよいか、よく知っています。わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。(…)あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、『働きたくない者は、食べてはならない』と命じていました」23。

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