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「どんなところででも神に出会うことができると確信していれば、主を賛美しつつ土地を耕し、波を切って進み、神の慈しみを歌いながら他のどのような仕事にも従事する」18。こうして何時いかなる時でも神と一致することができます。塹壕の中のあの青年たちのように、いつもの生活の場から離れて、独りぼっちになるときも、仕事に精をだして、仕事を祈りに変えるときも、神のうちに浸って歩むことができるでしょう。神なる父、神なる御子、神なる聖霊のみ前で仕事を始め、そして終えているからです。

 しかし、人目もあること、キリスト信者としての証しが、皆さん方、特にあなたに期待されていること、この点を忘れないでください。私たちを知っている人、愛してくれる人が私たちの仕事ぶりを見て恥じ入り、赤面しないように、人間的な面でも正しく振舞わなければなりません。私が熱心に教えているこの精神に即して生きるなら、皆さんを信頼する人々に恥をかかせることはないでしょうし、皆さん自身が顔を赤らめることもないでしょう。また、喩えに出てくる、あの塔を建てようとしていた人のようになることもないはずです。「土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう」19。

 超自然的な照準を見失わなければ、仕事を完成することができます。大聖堂を完成して立派に<最後の石>を置くことができるのです。

聖書への参照
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