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自分を甘やかす傾向に対しては断固として戦いなさい。自分自身にはもっと厳しい態度をとりましょう。健康や休息に気を遣いすぎます。力を回復して仕事に向かうため、休息が必要なことは確かです。しかし、何年も前に書いたとおり、「休息とは何もしないことではなく、少しの努力ですむ他の活動で気を紛らわすこと」であるからです。

 時には、ありもしない口実を探して安逸をむさぼり、双肩にかかる幸いな責任を忘れ、その場をしのいで満足します。理由にならない理由にごまかされ、手をこまねいて、突っ立ってしまうのです。その間中、サタンとその一味は休みなく働いているというのに。ここで、奴隷であったキリスト者に聖パウロが書き送った言葉に注意深く耳を傾け、しっかり黙想してください。主人に従えと命令しています。「人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい」14。まことに私たちに相応しい忠告ではありませんか。

 私たちの主イエス・キリストに光を求めましょう。そして、仕事が聖化の基盤であり軸であることを、各瞬間に再発見できるようお願いしましょう。福音書によると、イエスは「大工で、マリアの子」15と思われていました。それなら私たちも、聖なる誇りをもって、働き人であることを行いで表しましょう。労働にいそしむ人間であることを、身をもって示すのです。

 常に神から遣わされた者として振舞わねばなりません。万一、自分の任務を放棄したり、職務上の責任を協調の精神で果たさなかったり、あるいは、怠け者、だらしない者、軽薄な者、役立たずなどと見なされているとすれば、真心込めて神に仕えているとは言えません。表面的にあまり重要でなさそうな義務をおろそかにする者は、おそらく内的生活に関する義務を果たすこともできないでしょう。「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である」16。

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