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イエスの至聖なる人性に心から感嘆し、それを愛するならば、主の御傷を一つずつ発見していくことでしょう。辛くて厳しい受身の浄化のとき、隠そうと努める涙が甘くもあり辛くもあるとき、救いの御血に清められ、慰められ、強められるために、至聖なる御傷の一つひとつの中に入り込まなければなりません。嵐のときには岩穴に隠れると聖書が語る鳩のように14、御傷のもとに駆け寄るのです。この隠れ家の中で、キリストと親しい交わりを始めます。主の話し方は穏やかで、尊顔は麗しい15ことがわかるでしょう。なぜなら「み声は柔く快いと知るのは福音の恩寵を受けた者であって、その者のみが、あなたは永遠の生命の言葉を有しておられると主に申し上げることができる」16からです。

聖書への参照
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