3

もう何年も前のある日、私はバレンシアの司教座聖堂で祈っていました。そのときの想い出がなかなか記憶から消え去りません。そこには福者リダウラという人の墓があります。その前を通り過ぎようとしたときに、こんな話をしてくれた人がいました。ある時、司祭リダウラは年齢を尋ねられました。彼はもうかなり高齢でしたが、信頼し切った様子で答えました。「ほんのわずかですよ。神様にお仕えしてきた年月は」。皆さんのうちの多くは、この世で、今の環境で、仕事や職務を通して、主に接し、主に仕える決心をしてから、まだ片手で数えられるほどの年月しか経ていないことでしょう。このような細かな話はさほど重要でないかもしれませんが、次のことは大切です。イエス・キリストはすべての人を例外なく聖性に招かれたこと、また、この招きにあずかった一人ひとりが内的生活を深め、キリスト教的な徳に日々進歩すべきであること。しかも、どのような程度でも良いというのではなく、素晴らしいと言えるだけでなく、英雄的と言えるまで努力することが要求されているということ、これを確信して心に深く刻み込まなければなりません。

この点を別の言語で