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希望の先生マリア。「今から後、いつの世の人も、わたしを幸いな者と言うでしょう」20。マリアはこう叫んでいます。人間的にみて、聖母はいったい何を支えに希望したのか。当時の人々にとって、マリアはいったい何者だったのだろう。ユディト、エステル、デボラなど旧約の女傑たちは、この世で誉れを受け、人々の歓喜に迎えられました。マリアの玉座は、御子と同じく十字架。そののち肉体と霊魂ともに天にあげられるまで、沈黙の生活はお続く。マリアのこの目立たぬ生き方には驚くほかはありません。聖母をよく知っていた聖ルカは、初代の弟子たちと共に祈る聖母の姿を伝えています。人々が永遠に褒め称える聖母の生涯は祈りのうちに閉じられました。

聖母マリアの希望と私たちの気短さとは何と対照的なことでしょう。私たちはしばしば、自分のやり遂げたわずかな善業に対し、すぐに支払いを要求する。困難に見舞われるやいなや、不平が口をついて出る。努力を続け、希望を保つことができないことも実に度々です。信仰が足りないからです。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」21。主の言われたことは必ず実現するのです。

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